転がる石、君に痛みが来る

バンド・ランタノイドの歌、ギター、結石担当佐々木によるブログ。

歌を歌うときは

びっくりするぐらい寝て、久々の出勤日を迎えた。激しい雨の音で目が覚める毎日にも慣れてきていたけれど、会社に行かなければいけない、というだけでこんなにも雨が疎ましく思えてしまった。ずっと家にいると、とりのこされている感じが体につきまとってそれはそれでしんどかったのも事実だ。

 

結果として時間は山ほどあったのに新曲のとっかかりすら作れず、アマプラでよくわからない映画を見て、買ってあった漫画を再読していたら夏休みは終わってしまった。まず感情を動かさないと何もできないタイプだから、インプットから始めたはずなのに体に溜まっていかなかった。結局は気圧のせいだ。しょうがないから向こう一週間分の食材を買い込んで満足する。冷しゃぶが美味い。

 

できる時はあっという間なんだよなー、と自分を慰める日々が延々と続くのは結構辛い。

脆さを共有する

盆休み初日。全巻買わなきゃ、と思っていた「好きな子がめがねを忘れた」をf:id:sasakinaoto:20210812064120p:imagehttps://www.amazon.co.jp/dp/4757565313/ref=cm_sw_r_cp_awdb_imm_0SNMBHX83197KJZHT1EP

kindleで一気に買って読んだ。「青春だなぁ」で片付けられない小村くんと三重さん。早く付き合って欲しい、いや、いっそずっと付き合わないでほしいという小村くん的サムシング矛盾を胸に抱いたまま、最新刊の最終ページを閉じた。漫画は読みたい時に読めないと意味がないと思っているし、「やるべきことがいっぱいあるし、実は今読むべきではない」タイミングに読む漫画は最高だと思うタイプの人間なので、僕みたいな人間に電子書籍は、絶対に与えてはいけない。いくらでも、時間を無駄にできる。文明の利器、本当にありがとう。

「好きめが」の話に戻る。別段恋に限った話じゃなくて、お互いを慮って、それが互いに伝わっていて、(現実はそういうことばかりではないのだけれど)その美しさっていいなぁと思う。藤近さんは、小村くんと三重さんを描く内に、恋じゃなくて愛を描きたくなったのではないかと勝手に推察してる。実は最初からそうだったのかもしれない。小村くんを何かと頼ってしまって、自己嫌悪で泣いてしまう三重さんを励まそうと、小村くんが自分の気持ちを打ち明ける(告白じゃないけど告白みたいなもんだろ)4巻は、なんだろう、心がトキメキを通り越してしまった。イチローWBCで決勝タイムリー打ったとき以来の衝撃だった。僕のトキメキは、もうかれこれ10年くらい留守にしていた。つい先ほど、ノックしたら返事が返ってきたのだ。おかえり。

美しいものを目にすると、人は口数が少なくなるのかもしれない。口から想いが飛び出すことで、美しさが劣化するのが怖い、のかもしれない。でも、ブログなら書けるような気がして、筆を取った。この素晴らしい感情を忘れるのと、言語化して失われてしまうであろう美しさを天秤にかけて、僕は恐ろしく弱くて脆いので、忘れる前に文章に残すことを選んだ。そんな脆さもたまにはいい。そんな脆さを共有してくれる人もこの世にはきっといるはずで、小村くんにとって、三重さんにとって、お互いそうだったというだけの話だ。

 

ランタノイド配信全曲解説 その2

その2 「夏が来る」 

 

湿気ムンムン、肌にじっとりと汗が滲む、気だるい夏の曲。

ともかく歌詞は抽象的な装い。

何にインスピレーションされたんだろう。

パッと思いつくのはKeyの「AIR」かもしれない。

だいぶ古いゲームだし、実際にプレイしたことはない。

アニメは全部見た。うるっときたが、号泣はしなかった気がする。

それでもニコ厨は夏が近づくと、嫌というほど「AIR」を思い出す。

示し合わせたように関連動画がランキングにあがるからである。

……クリスマスが近づくと、フジファブリックが聴きたくなったり。

 

人間そういうもんなのだ。

 

大学の先輩に歌詞を見てもらったことがあったが、

その時は「固定」という単語が浮いて聞こえる、とツッコまれた。

そう言われると確かにそんな気もしたのでその場は深く頷いたが、今となっては別にどうでもよい話だ。

個人的な好きポインツを挙げるとするならば、「夕立」と「雷」を合図に「また会いたい」って思えるの、アツいなあ、と思う。

なんでアツいのだろう。

AIR然り、フジファブリック然り、

夕立が降ると、「あぁ夏だ」と思えて、その感覚がたまらなく好きだから……、ということ、かも?

 

ああ、でも違う。思い出した。

 

これは、僕が大学在学時に書いた詩「オト(ギバナシ)」にも関わってくると思うからちょっと詳細を書くこととする。

日本大学芸術学部文芸学科に入って現代詩を学んでいた当時、

授業の一環でDTPインデザインとかフォトショとかイラレとか)を駆使してゼミ誌を作ることに。

その中で2ページくらいのスペースをメンバーから貰って、自作の詩を載せることになった。

完成したゼミ誌は文芸学科のロビーに置かれて、誰でも閲覧できるようになっているのだけれど、

レイアウトとかデザインとか、取り仕切ってくれた子(名前は忘れてしまった。痛恨)のハイセンスもあって、

割と評判は良かったそうな。

そしたら、なんかそれから半年ぐらい?経った頃かな。

人づてに、「この詩を劇の一部分に使用したい」と演劇学科の子が言ってくれていることを知ったのだった。

普通の作家大先生ならば、

「ああ、構わないよ。好きに使ってくれ」

ぐらい余裕ぶって言うべきなのかもしれないが、

 

僕にはそういった経験が一切なかった。

 

実はランタノイドもあまりカバーされたことがない!(当然だ)

 

ので「えーっ!!!!えーっ!!!」

って言いながら使用許可を出した。

ドキドキしながら公演を見に行ったが、それはもう全身の毛が逆立つぐらいよい作品だった。

自分が生み出した言葉、ひねり出した想い。

それが「劇」というフィルターを通して不特定多数の人々に散らばっていく。

とてつもなく気持ちのいい瞬間だった。

本当だったら、終演後にすぐにでもお礼を言うべきなんだけれどそんな余裕もなく。

在学当時よくつるんでいた「タイさん」と近くのラーメン屋かなんかに入った。

んで、飲めないくせにビールを浴びるほど飲んで、フラフラしながら電車に乗って帰路についた。

「タイさん」は茹でダコみたいになっている僕を見てずっと優しい笑みを浮かべていた。

心拍数がドカドカあがり、形容しがたい高揚感に包まれるあの感覚。

それを歌に落とし込みたかったのだろう。

「会いたい」のは人じゃなくて、

もう一度、あの日起こったちっぽけで、自己満足で、自分の中だけの奇跡みたいな出来事に、

「夏」を通して、出会いたかったのだと思う。

ちなみにこのシングルをリリース後、ギターの清野勝寛が脱退し、ランタノイドは3人編成となる。

当時は色々あったけれど、今でも仲は良いと思う。

メンバーが共同生活しているランタノイドハウスに清野さんもいる。

 

(次回、その3「マバタキ」に続く)

ランタノイド配信全曲解説

  その1「とべとべろまんず」

 

「酒を一滴も飲めないヤツが酒を飲もうと歌っている」

と中学の同期からは随分いじられたこの曲。

ランタノイドもなんだかんだ結成から10年経っていて、(メンバーが変わっていたりもするけれど)

それこそこの曲ができた当時はバンドとしての活動が充実していなかった時期でもあった。

高校卒業して、「さあこれからバンドやるぞ!」

ってタイミングで、ギターとベースが抜けたり。だからもっぱら弾き語りで披露することの方が多かった。

ドラムの啓太郎と二人、カホンとアコギで何度もライブ出演したのもいい思い出である。

歌詞を見てもらえればわかる通り、この頃は時代と逆行したいとばかりずっと思っていて、

聴いていた曲も随分昔のものばかりだった。

聖子ちゃん、マッチ、ピンクレディー、およげたいやきくん……。そしてビートルズ、と。

「生まれる時代間違えたわ!」ってひたすら思っていたのだろう。

当時流行っていた音楽に魅力がなかった、惹かれなかったということなのかもしれない。

その良し悪しは別として。

今はヒットチャートがアイドルで埋もれることもなくなり、

好みのバンドもいっぱいでてきて、音楽の聴き方さえも変わってきた。

なけなしの1000円でアルバム5枚借りて、ソッコーでalneo(ビクターのポータブルオーディオプレイヤー)にぶちこんで、曲名が全部「???????????」でイライラしたり、そんなことがひたすら懐かしい。

その懐かしさを歌いたいのだ、と謎の使命感に駆られていたのかも。

好み1000%でつくられた従姉妹のMDとか。

中学の卒祭的なイベントで一緒にお笑いをやることになった相方から

ミスチル入門編!!」

って汚ねえ字で書かれた自作のCDをもらったりとか。

そういう誰にでもある懐かしさを歌いたいと思った時、

「とべとべろまんず」

というよくわからんポンコツみ溢れる単語が生まれたのであった。

発表した当時も、今もそうだが、ライブ後はおじさまおばさまに話しかけてもらえることが多い。

琴線に触れるのかもしれない。

稀に、めっちゃ若い子が「聖子ちゃん最高ですよね」とか言ってくれることもあるが、それも嬉しい。

自分も君のような時代があったのだ。そんでもってそれは間違ってはいないのだ、と思いながら話をする。

一回だけ、「2000年代って言ってたけど!君らいったいいくつなん!?」みたいに絡まれたこともある。

歌詞の流れ的にランタノイドが2000年代生まれのバンドだと勘違いされたのだ。

これはちょっと反省もした。言及されたのたぶん2015年とかの話だから、まあ、そりゃ不思議に思うよな。タバコ吸ってたし。

そんな勘違いもされつつ、この曲のレコーディングをきっかけに、閉塞気味だったバンドの活動も徐々に開けてきたようなイメージがある。

2015年12月に発売。元ギター清野、ベース小林と4人体制になってから初の音源だった。

鶴見トップス(現在はGIGS)の下にある小さなレコーディングブースで録音した。

アコギは自分のパートだったが今よりもずっと下手くそでリズムも取れていなかったので、元ギターの清野さんに全部弾いてもらった。

今もランタノイドの曲をミックスしてくれているエンジニア井垣さんの提案で、後送部分は各人がはちゃめちゃな単語を叫び、それを重ねてもらった。

色んな偶然も手伝って、ランタノイドの中でも一際印象深い一曲となったのであった。

 

(次回、その2「夏が来る」に続く)