転がる石、君に痛みが来る

バンド・ランタノイドの歌、ギター、結石担当佐々木によるブログ。

ランタノイド配信全曲解説 その6「オーソドックス」

その6「オーソドックス」

 

 

1stアルバムのトップバッターとなったこの曲。

ランタノイドの中でも随分古い曲で、高校生の時には歌詞ができていた。

そのせいなのか、歌詞の切り口がどこか子供っぽい。

「宇宙船の窓から 無数の星が 僕の 後方 上 飛んでいく」

ってフレーズは、今の僕からしたらびっくりするくらいロマンチックだ。

ちなみに「ぶらりと冥王星まで行って 少し切なくなったりして」

というフレーズは、「太陽系の惑星から冥王星が除外された」というニュースを見て思いついたのだと思う。

「すいきんちかもくどってんかい『めい』」

そう教わってきた自分たちの価値観がほろほろ崩れて切なくなったのだ。

 

それから、「普通」という言葉の本質について、よく考えていた時期でもあったと思う。

そもそも「普通」とはなんなのか。

誰かにとっては普通で、また他の誰かにとっては普通じゃない。そんな曖昧な基準のせいで、どれだけの人がレッテルを貼られることになるのか。

社会になぞらえた「普通」なんてくだらない定義を一度全部取っ払ってみれば、つまらない世の中が少しはマシになるのかもしれない。

とか。そんなことばかり考えていたんだと思う。子供だったからね。

今だから分かるけれど、いわゆる「同調圧力」のようなものに嫌悪感があったのだと。

それも、まだ「同調圧力に対する純粋な反抗」ならいいけれど、

同調圧力に反抗している」自分に酔っていた節があって。今でも自戒する。

そんな佐々木少年は歌の中で、言葉遊びをしながら小さくほくそ笑んでいたのだと思う。

『普通は普通に「異常」だし、「皮肉」なんて焼いて食べちゃおう。』

そんなフレーズのあちこちから、遊び心が垣間見えて、個人的にすごく好きな曲だけど、同時に恥ずかしさを覚えたりもするのである。

 

(その7、「ゆとり」に続く)

 

同調圧力、集団的意識で調べたら出てきた東京大学のプレスリリースが面白かった。リンクを貼っておく。

www.u-tokyo.ac.jp

思いっきり助走をつけて

18日

町田playhouseでBUSのワンマンを観る。仕事終わりの足で向かった。生憎の台風でスーツがびしょ濡れになったけど気にしない。来場者には新しいアルバムが配られるという大盤振る舞いで、「そういうのもアリ」なのがBUSのいいところ。この日のセトリはアルバムに準拠していて、帰ってから聞くとまたおいしい。BUSはいつもゆる〜く魅せるけど、ギャップ萌えというか、緩さの中にぎゅっと詰まったエッセンスが垣間見える瞬間があって、そのバランス感が好きだ。Zaloudの面々やカガミ、マイステ、ザ・マニアも客として来ていて、終演後少し話した。

 

19日

何も予定がない1日は本当に久しぶりだった。メンバーは各々出かけていたので一人でずっと家にいた。ギターのレコーディング作業も遅々として進まず、やけくそになって、いっそディスクアップでも打ちに行こうかと思ったがやめた。「やばいもんにはやばいもんぶつけんだよ!」の精神で、疲れた心に「ヘレディタリー」と「ミッド・サマー」をぶち込んだ。鬼才、アリ・アスターの毒気にあてられて、思考がどんどん尖っていく。今週も眠れない日曜日を過ごす。

 

21日

22日の下北沢に向けてペンタで深夜練。SSのヒノくんに作ってもらったシールドを試す。抜けを作るのに少し時間がかかったが、無事に音作り完了。これはいい。早くライブがしたくなった。セトリをしこたま確認し終えて、新曲のアレンジを進める。骨格はまとまった。帰り道、啓太郎に「新曲の歌詞は『結局人はみんな一人なんだし、どうせみんな最後には死ぬんだから人生なんてどうでもいい』みたいな、今までのランタノイドの概念をぶち壊す歌詞にしたい」と言ったら「……なんか辛いことでもあったの?」と若干引いていた。次の日、レコーダーに録っておいた練習音源を聴き直したら、とてもそんなブラックな歌詞とは合いそうにもないメロディだったので、あんなことを口走ったのはたぶんアリ・アスターのせいだと思うことにする。こわい。

 

22日

久しぶりの下北沢。セキネ(清水)の企画に参加。BASEMENTBARは初。対バンもよかったが、ハコの雰囲気もなおよかった。一曲目「こころ」で「踊りましょう!湘南!」っていつもの癖で言っちゃって冷や汗が出たが、ウケてたのでまあよしとする。ホームは湘南だけど、やっぱり他のハコにも定期的に出ねばならない、という決意を新たにした。この一年弱、ライブを積み重ねてきたからこそ、今、下北沢に出て分かることが非常に多かった。去年THREEに出演した時には出てこなかった感情が次々と湧いてくる。自分でも知らない間にあぐらをかいていたんだろうなと思う。もっとできるはず。もっとやれるはず。唇を噛み締めながら帰路についた。

ランタノイド配信全曲解説 その5「オーキードーキー」

その5「オーキードーキー」

 

 

 

「オーキードーキー」とは「OK」のくだけた言い方のこと。「Okey Dokey」。

ちなみに初期の曲名は「セクハラ」だった。あまりに直接的すぎるタイトルだったので、サビから拝借。響きがかわいいので採用。

最近は「メンバー紹介」の曲としてもお馴染みだと思う。

自分が描きたい世界観というか、なんというか、それがギュギュッと凝縮された曲で、性癖や、好きな女性のタイプみたいなものもじんわりと浮かび上がって来ている……と思う。

そういう「癖」は相当狂っていると自負している。

心当たりは大いにある。主に妹の持っていた少女漫画、何故か押し入れにしまってあった成年向け漫画を暇つぶしに読んでいたせいだと思う。

あえてタイトルをあげるなら「神風怪盗ジャンヌ」とか「GALS!」とか。「白鳥麗子でございます!」とか。自分でも書いてて笑える(少女漫画って性描写をベッドで横たわって手を繋ぐシーン”だけ”で補完するのいつも笑ってしまう)(そんな中でも「君の手がささやいている」という神漫画に出会えたことは母に感謝せねばなるまい)(そもそも「君の手」を押し入れに隠すな)

そう。そのせいで随分こじらせた。

紆余曲折の果てに「メンタルがバグって身体的に、精神的に色々と強靭になってしまった気のバカ強い女」がたまらなく好きになってしまったのである。

よく目にする「女性芸能人◯◯!実は性格悪かった!」みたいな記事。

そういうのちょーだい!もっと!って感じである。

世の中のあらぬ噂やバッシングに対して「だから何?」と言える強さとかわいさに常日頃憧れている。

AKBなら「こじはる」が推しだ。(とてつもない偏見)

 

さて、ここまで読んで、「所詮ポーズでしょ?」って思う人もいるかもしれない。

あなどるなかれ、これは実証に基づいた見解である。

中学、高校、と恋愛もした。気の合う女友達に僕が好きになった女の子について相談すると、

「あいつは最悪」

「女を見る目がない」

って毎回言われる始末!(笑えない)

 

そんな女性像が歌詞の世界観を支えている。「やっぱごめん、気持ち悪い」ってフレーズも然り。

なんとなくオーキードーキーを聴いていたって人は、この機会にこれを前提に聴いてみてほしいものである。

 

余談だが、昨今は「LGBT」の話もよく耳にするし(LGBTQとか、LGBTQ +とか)、この歌が主張したいことも少し違った意味で捉えられたりもするのかも、と思うこともある。僕が意図したメッセージと曲解するのは当然のことだし全然構わない。

男はたくましくなくていいし、女はおしとやかじゃなくていいし、もう何でもいいわけで。

結局認め合う世の中を作れるのかってところが、目下最大の懸念事項だと思う。どこの国でも、街でも、文化が違えば考え方まるっと違うのだから。

自分の考えとしては、そこに深く頭を突っ込んだり、逆にノータッチでいたり、なんて極端なことはしないつもりでいる。

話したければ話すし、歌いたければ歌う。

そんなスタンスだから、聴いている側も肩肘張らないで、課長と部長と社長の時代錯誤に対して、呆れつつもどっしりと構えて笑い飛ばす気の強い女の子の話をただ楽しんでくれればありがたい。

 

ちなみに音源のギターはこばさんが弾いている……のはここだけのハナシ。

 

(次回、その6「オーソドックス」に続く)

結ぶ

GOENDsレコ発スリーマンに出演。新譜のタイトルが良すぎる。「いつかの」って言葉は確かに未来にも過去にも干渉していくようなニュアンスを持っててGOENDsの曲にはぴったりだ。「ずるいじゃん、そんなの」ってひとりごちた。

プラス、「いつかの」とか「未来」とか「過去」とか、そういうワードに今ひどく敏感なのは、先週観たクレしん「オトナ帝国」のせい。絶対そう。間違いない。

 

ライブ見ながらつらつら考えていたことを書く。

 

「未来」を創ることはできても、「過去」を創ることはできないんだよなきっと。

でも、「未来」と違って「過去」には触れられるんだな。

もちろん触れたくないこともたくさんあるけど。

音楽は、どっちかといえば「過去」の為にあるのかもしれないな。ふとした旋律で、音響で、言葉で。「いつかの夏至」に起きたこと、その記憶ごと「曲」と結びつくのだな。そんでもってその結び方は自由なんだ。すっっごく歪んだ結び方したり、逆にきっちり結んだり、今にもほどけそうなくらいゆるく巻きつけたり。

「どう結んだらそんな形になるんだよ!」って言われるぐらいの変な結び方もあるだろうな。

その人それぞれな感じが、僕は好きなんだろうなー。

 

とか考えてた。

 

GOENDsの曲は、気づいたらするっと結ばれてて面白い。GOくんと違う人生を生きているはずなのに、僕の幼稚園も無くなっていたような気がする。駐車場になってた気がする。轡虫が鳴いている気がする。それが楽しい。

 

9/12 @湘南bit

 

1.銀河鉄道の夜

2.オーソドックス

3.とべとべろまんず

4.こころ

5.オーキードーキー

6.#

7.マバタキ

8.突破口

 

またいつかの夏至にやりたいね!

TREMOLO HOUSEも一緒にね!

 

 

10B

Zaloudレコ発企画。朝もはよから(バンドマンにとって10時は早朝)bitにお邪魔した。トッパーのRaymondは9時半、Zaloudは8時半から来てたらしい。それに応えるスタッフもすげーや、と他人事のように思ってしまった。この時は。

すぐに対バンと顔合わせ。全部で11バンド。誰が言うわけでもなく円の形になるんだけども、だいぶ歪な形してたと思う。それぐらいの人数。でもやる。煌びやかなステージの前に空気清浄機がどどんと二つ鎮座。扇風機が全部で10台くらいフル稼働。でもやる。だからやる。不要不急と言われてから1年半ぐらい経ったわけだが、そろそろこっちも答え合わせがしたい頃なんだ。「本当に不要だし不急なんですかね?」当事者だからかもしれなけど、僕は音楽が不要不急だとは思わなんだ。音楽やってなかったらとっくに自殺してる。かといって周りの人が僕の自己満で死ぬのはつらい。そんな葛藤の中で、バンドマンは揺らいでいる。だから、できることは全部やって、その上で。やるしかないんだなって。

Zaloudはそういう覚悟の上でやったんだな。で、その覚悟にのっかれる人たちが昨日集まったんだな。そう感じずにはいられない1日だった。みんな不安だったと思う。誤解を恐れず言うけれど、「楽しい」だけじゃなかったような気がするよ。この状況で11バンドって数は。でも、会場内の至る所に貼ってある注意書き、トイレに貼ってあったニークラの直筆のメッセージ、お客さんに配られた携帯用の除菌アルコール、そして極め付けは対バンが楽屋に収まりきらんからって、新たに借りたゲストルーム。ビビった。

もちろん、全部が全部Zaloudが考えたことじゃなくてbitからの提案もあると思う。っていうか全部bitからの提案かもわからん。けど本当に重要なのはそこじゃなくて、いや重要かもしれないけども!「やるんだったらそれぐらい準備しよう」って結論に至った心意気の話を僕はしてるんよ。やめるのは簡単だけど、これだけされたら誰も文句言えないよ。近藤勇も言ってる。捨ててはならぬものは義理だって。だから応えなくちゃ。

結論。ものすごく気合いが入ったライブをして、力んでいつもより自分の声、出ず。あはは(笑い事じゃあござらんよ)。

 

9/5 @湘南bit セトリ

1.ゆとり

2.とべとべろまんず

3.男なら勝利の歌を

4.オーキードーキー

5.銀河鉄道の夜

 

ああ、芯が「太い」ってのはこういうこと言うんだろうなあ、とまざまざ見せつけられたぜZaloud。レコ発おめでとうでした。

来週はスリーマン。この勢いのままけっぱるべ。

 

 

雨、雨、雨

雨がずっと降り続き、急に涼しくなってきたせいかお腹の調子が悪い。夜食べているものがよくない気がする。ここ2週間自炊をしていないのが原因な気もする。

 

Water Dropのツアーファイナル出てきた。セトリはこれ。

 

8/29(日)@湘南bit

1.こころ

2.とべとべろまんず

3.オーソドックス

4.#

5.オーキードーキー

 

今回個人的にも感触が良かったのは こころ だったかな。リハスタでは、オーソドックスを一曲目に持ってきてぶち上げよう、みたいな案も出たけど、練習している内に「やっぱりこころがいいか〜」みたいな感じでメンバーの意見が一致。中々トップの座を譲らない。いや順位じゃないけども。

にしても、対バンがすごくよかったなぁ。ランタノイドはようやくみんなと肩を並べられるぐらいになったのかな、いやいや自惚れんな全然まだだろ、ってループ。

主催のWater Dropはもちろんだけど、この日の個人的ベストはSwitch boardだった。ライブ後にカガミに話聞いたら変に納得しちゃった。

やっぱ演者の意気込みがあればあるほど、ライブはすごくよくなるんだよね。傍目には空回りしているように見えるかもしれないけど、伝わってる人にはしっかり伝わってるから。だから臆することなくみんな感情を曝け出してくれぃ!と、音楽オタクから一言。

 

スリーマン、がんばるか。

 

 

ランタノイド配信全曲解説 その4「サラバ!」

その4「サラバ!

 

 

2ndシングル2曲目。西加奈子さんの直木賞受賞作「サラバ!」を連想してくれた人もいた。小説としてはかなり長いが、この場でオススメしておく。

サラバ!」は明確に「長い曲を作りたい」と思って色々と試行錯誤した。最初期はピロウズの「Fanny Banny」みたいな曲調で、デモを聴いた友達に一発で看破された。

その長さ故に気軽に演奏できないのがネックだが、セトリに組み込まれた時は思いっきり肩に力が入る。聴いた人を全員泣かすくらいの気持ちである。

Cメロで「たぶん きみは もう 忘れちゃうんだろう」「おじいちゃんの 細くなった腕も顔も」ってフレーズがあるが、ここは唯一実体験を元にしている。病院で寝たきりの、腕も顔も細くなったおじいちゃんの姿。

今の所忘れる気配は微塵もないが、でもそれもいつか忘れる日がくるはずなのが少し怖かったりもする。

ので、「忘れたんじゃなくて、未来に近づく分、過去と少しずつサラバするだけなんだよな」って。気持ちに折り合いをつけた。

井伏さんが「人生足別離」を「さよならだけが人生だ」と訳したように。

そのままの感情が歌に詰まっている……と思いたい。

さようなら、バイバイ、またね、などなどお別れの言葉はたくさんあるが、「サラバ!」を選んだのには「別れ」という事象にポジティブなイメージを重ねたかったからというのもある。

多分これから先二度と会うことがないと分かっていても、「サラバ!」ならあっけらかんとしていて、前向きに感じるのだと思う。

 

(次回、その5「オーキードーキー」に続く)