その11 「君の名は」
以前、鶴見GIGS運営のYoutubeチャンネル「ぎぐすて」でも暴露したが、映画本編は一切見ていない。たぶんこの先も見ない……と思う。
ちなみに「天気の子」は見た。結構面白かった。
なので、流行り物が嫌いなのか、好きなのか、あえて目を逸らしているのか……理由はわからない。とにかく「君の名は」を見ない、というスタンスだけ確立している。
知らないまま、出会わないままの人生、それもまた一興かもしれない。
アナザースカイで、ヤスケンがアビーロードを渡った後に、なぜか涙したように。というのは綺麗事かもしれないけれど。
関係ないが、昔はアニメってかじりつくように見ることができた。大人になってなかなかどうしてのめり込めない。
映画や小説はまだマシだ。気合いが入る。「観る体勢」を作れる。
アニメは、なぜか時間がかかるのだ。その体勢になるまでにも……。
さて、自分の話はどうだってよいのだ。
この曲はAメロのメロディーが漠然とできていて、肉付けするように他の部分ができていって……という作り方をしている。曲全体を重たくしたくて、あんまり使わないパワーコードを多用し、ゆっくり歩を進めるイメージで曲が進行していく。
サビを思いついたのは、アレンジの最後の方。びっくりするぐらいの高音域になってしまって、だいぶ苦労した。しかもレコーディング前にはキーを半音上げる計画もあった。流石に無理。
「無くしたままでいたいよ 最後のピースはどこか知らない 手の届かない場所へ投げて また探すんだ」っていう2番の歌詞が一番気に入っていて、実はとあるアーティストの曲のオマージュだったり。「置き手紙の場所 教えないよ どこか 遠い世界 の果て」というのが元の曲。詩の面白い部分がぎゅっとつまったフレーズなのである。
「置き手紙」は読んでもらうためのものなのに、「遠い世界の果てに」という飛躍が気持ちいい。気になった人は探してみてください。
「相槌」の項でも多少触れたが、個人的に「歌詞」は音の「付属品」であって、いわゆるメインディッシュではないと思っている。
食べたいのはステーキ(曲)であり、でも、完璧なタレ(歌詞)が無いと味気ないというか。(何かと食べ物に例えがち)
だから、タレが全てを支配することは避けたい。物語風の歌詞なら、結末は聴いている人に委ねたいと思っているし、そうあるべきだと考えて詩を書いているところがある。
こう言うと誤解されるかもしれないので、
別に歌詞を蔑ろにしているわけではないし、主張の激しい曲が嫌いってことでもない、ということは付け加えておく。
(次回、その12「ララ」に続く)