転がる石、君に痛みが来る

バンド・ランタノイドの歌、ギター、結石担当佐々木によるブログ。

ランタノイド配信全曲解説 その8「かたつむり」

その8 「かたつむり」

 

アルバム3曲目。洋楽カバー集を追っかけてくれている人はピンときたかもしれないが、また「日曜日が雨」である。

自分にとって、日曜日は常に雨が降ってて、うだつのあがらない日なのかもしれない。

実はこの曲には明確にモデルがある。奥田民生さんの「野ばら」って曲だ。

「天気予報の確立が高まれば 君の機嫌がなんとなく分かるのだ とそういうワケにはいかないかなぁ 良い調子でやってるかなぁ」

ってフレーズがたまらなく好きで。こういう歌詞書きてえなあ、と思って気張って作ったのだった。

「くだらないことで笑えますように 穏やかに適当にいこうぜ 遅刻までサプライズと言おうぜ」

当時の自分にはこれが精一杯かもしれない。

個人的には「かたつむり」はすごくかわいい曲だと思っている。

遅刻までサプライズ、と言った後に彼女には死ぬほど怒られてほしいし(強気な女!)、でもってばっちり平手を喰らってほしい。

で、その後真剣に謝って、仲直りして、しっぽりセックスする。

そんな日常を夢見ていた……。のである。

 

(次回、その9「きらい」に続く)

ランタノイド配信全曲解説 その7「ゆとり」

その7「ゆとり」

 

「ゆとり」は、「ゆとり世代」を揶揄した曲だが、同時に鼓舞する為に作った曲でもある。

何を隠そう、自分もゆとり世代ど真ん中の人間。

「これだからゆとり世代は」なんて、面と向かって言われたことはないけども、そう言いたそうな相手の雰囲気を感じ取ったことは大いにある。

「ゆとり」なのにそんなことで「せせこましい」思いをする羽目になるなんて、思いもよらなかった。

ただ、実際のところ「ゆとり世代」の政策や教育方針、その他諸々が人生に多大な影響を与えているのも事実で、確かにどこかのほほんとした世代なのかもなあと個人的には思う。

ある意味では、「生きてればオッケー」だし、職に執着がない。少なくとも僕の周りはそういう人たちで溢れていた。もちろん僕もそっち寄りだ。

「大学卒業したら、パパの持ってる不動産で家賃収入得てニートするんだ~」って言ってた子も大学に居た。

………それとはちょっと違うか。実家が金持ちかどうかって問題な気もする。

 

でも、

たとえそうであったとしても、人としての性質や性格まで世代のせいにしてたまるか、と僕は常々思うのだ。

 

「戦うことも知らないまんま ぼくら兵士にだってなるの?」

「関わるはずない未来なんて ほうら知らんぷり また大きくなって」

ここは結構メッセージ性強いところで、この歌の核心かもしれない。

知らないことは多いけれど、ひたすら大きくはなる。時は残酷なので。

せめて、「しらんぷり」はやめようねって言いたかったんだと思う。

 

「どこかですれ違った未来も」

「どこかで捨ててきた世界も」

「メガネをかけ直したら わかるの?」

「ああ そんな生き方もよかったかも」

 

このCメロが好き。いつも歌いながらジーンとくる。自分の歌だけど。

 

で、実はサビに英語を使ってるのはこの曲だけ(2021年現在)。

タイムゴーズオン、って言いたかっただけだったり。

 

よくツッコまれるポインツとしては、

「足りないことも 足らないことも願った」

って部分。どちらも同じでは?と言われるのだけど、「足りない」のと「足らない」のは違うと思っていたり。で、どっちも受け入れていきたいと。

そして「僕らなりに響かせて」で締める。そういう曲でした。

 

僕はこの素敵な曲でメジャーに行きたいよ。

 

 

(次回、その8「かたつむり」に続く)

 

うれしい! たのしい! 大好き!(寒いのでやけくそです)

17日

 

じいさんの一周忌で久しぶりに家族と会う。実家を出てからもちょくちょく会っているけれど、なんだかんだ言って、家族は大事だよなぁ特別だよなぁと、思う。何気なく母の歳を聞いて切なくなった。

じいさんは生前、だらしない僕をひたすらに叱る人だった。最後に贈られた言葉は「タバコはやめろ」だった。自分が癌でしんどい時も、常に周りのことばかり考える人だった。葬式に親戚は来なかった。「コロナで大変だから、俺が死んでも東京に来るな」と口すっぱく言っていたそうだった。

タバコを吸うと、今でもじいさんの怒り顔が浮かぶので、やめなきゃと思う半分、怒ってくれる人がいることにどこか安堵する天邪鬼な僕がいる。そして、今日も次のタバコに火をつける。

 

23日

寒いのでついに毛布を一枚出した。16時からこばさんと予定があったので、14時過ぎまでたっぷり寝た。5度寝ぐらい。脳裏にこびりつく変な夢。「さっきまで見てた 夢の続きが気になって」とはならない。15時半にバイクに乗り込む。こばさんと二人乗りだ。家の中より外の方が幾分暖かい。が、少しでもバイクのスピードがあがると縮み上がる。前述した「予定」は今は明かせないのだけど、バンドの先行きを占う「予定」なので詳細はいずれまた。

予定終わってから中島家でチャーシューメンをいただいたが、この日のスープの出来がよすぎて悶絶。こばさんと「年一クラス!」と興奮しながら帰路についた。

 

24日

機械男(と書いてメカニックマンと読む)の企画に参戦。ありがたいことに、オープニングムービーに一枚噛ませてもらう。メンバーそれぞれがヘンテコな格好を考えて撮影。それをギターの内田さんに送って編集してもらい、出来上がったのがあのギャルゲ風ムービーである。内田さんから「みんなアフレコが上手い!」とお墨付きをいただく。ランタノイド、なぜかコンデンサーマイクまで使って声を収録する気合の入れっぷりを発揮。

トッパーを任されたからには、という心持ちでライブには臨んだ。イベントのトッパーは良くも悪くも、その日の基準となることが多いような気がするので、そこそこ練習を重ねて挑んだ。終演後の反応を見るに好評だったみたいで少しホッとした。自分でも不思議なぐらいMCがスムーズだったのは、他でもない機械男のおかげである。自分たちの曲と、「メカ」を掛け合わせることで、良い流れが生まれたような気がする。こんなこと喋れるんだ。という気づきを得たのでどんどん人類をやっていく。はい。

 

27日

iphoneの画面がついにバキバキに割れてしまい3700円の出費。給料日前に金を使うイベントはやめてほしい(合宿前に「夜ふかし気味」を引いた気分)。銀座のApple storeはいつも人でいっぱいで……っていうか客よりスタッフの方が多い。みんな自分のニックネームを書いた紙を首からぶら下げていて、そのネーミングセンスに笑ってしまう。チラッと見えた本名とあまりにもかけ離れた印象を放つニックネームの人に対応してもらって、無事に修理完了。帰りにはなまるうどんで、かけ中をいただいた。

 

 

 

 

 

 

滞納

筆が乗る日が続いたと思えば、今は全然ブログどころではなくなっている。スピードが求められると、途端にやる気が削がれてゆく。じっくりのんびり、そして締め切り最終日に集中力がピークに達する。

この生き方を随分続けてきて思うところが一つ二つ。「3時間ほどで終わるのならばなぜもっと早くに……」と。ただ、その反論も持ち合わせている。「この濃厚な3時間を生み出すために、無駄に見える時間を貪り尽くしたのだ……」

戦うのはいつも自分自身、頼るのもいつも自分自身。他人の苦しみは結局わからんし、自分の苦しみだってほんとの奥底に眠っているものはわからない。

その状況を楽しめているのならば幾分マシである。なのでまだ自分は上等だと思うことにする。した。

 

アチョー!!!!(唐突な叫び)

 

がんばります。

ランタノイド配信全曲解説 その6「オーソドックス」

その6「オーソドックス」

 

 

1stアルバムのトップバッターとなったこの曲。

ランタノイドの中でも随分古い曲で、高校生の時には歌詞ができていた。

そのせいなのか、歌詞の切り口がどこか子供っぽい。

「宇宙船の窓から 無数の星が 僕の 後方 上 飛んでいく」

ってフレーズは、今の僕からしたらびっくりするくらいロマンチックだ。

ちなみに「ぶらりと冥王星まで行って 少し切なくなったりして」

というフレーズは、「太陽系の惑星から冥王星が除外された」というニュースを見て思いついたのだと思う。

「すいきんちかもくどってんかい『めい』」

そう教わってきた自分たちの価値観がほろほろ崩れて切なくなったのだ。

 

それから、「普通」という言葉の本質について、よく考えていた時期でもあったと思う。

そもそも「普通」とはなんなのか。

誰かにとっては普通で、また他の誰かにとっては普通じゃない。そんな曖昧な基準のせいで、どれだけの人がレッテルを貼られることになるのか。

社会になぞらえた「普通」なんてくだらない定義を一度全部取っ払ってみれば、つまらない世の中が少しはマシになるのかもしれない。

とか。そんなことばかり考えていたんだと思う。子供だったからね。

今だから分かるけれど、いわゆる「同調圧力」のようなものに嫌悪感があったのだと。

それも、まだ「同調圧力に対する純粋な反抗」ならいいけれど、

同調圧力に反抗している」自分に酔っていた節があって。今でも自戒する。

そんな佐々木少年は歌の中で、言葉遊びをしながら小さくほくそ笑んでいたのだと思う。

『普通は普通に「異常」だし、「皮肉」なんて焼いて食べちゃおう。』

そんなフレーズのあちこちから、遊び心が垣間見えて、個人的にすごく好きな曲だけど、同時に恥ずかしさを覚えたりもするのである。

 

(その7、「ゆとり」に続く)

 

同調圧力、集団的意識で調べたら出てきた東京大学のプレスリリースが面白かった。リンクを貼っておく。

www.u-tokyo.ac.jp

思いっきり助走をつけて

18日

町田playhouseでBUSのワンマンを観る。仕事終わりの足で向かった。生憎の台風でスーツがびしょ濡れになったけど気にしない。来場者には新しいアルバムが配られるという大盤振る舞いで、「そういうのもアリ」なのがBUSのいいところ。この日のセトリはアルバムに準拠していて、帰ってから聞くとまたおいしい。BUSはいつもゆる〜く魅せるけど、ギャップ萌えというか、緩さの中にぎゅっと詰まったエッセンスが垣間見える瞬間があって、そのバランス感が好きだ。Zaloudの面々やカガミ、マイステ、ザ・マニアも客として来ていて、終演後少し話した。

 

19日

何も予定がない1日は本当に久しぶりだった。メンバーは各々出かけていたので一人でずっと家にいた。ギターのレコーディング作業も遅々として進まず、やけくそになって、いっそディスクアップでも打ちに行こうかと思ったがやめた。「やばいもんにはやばいもんぶつけんだよ!」の精神で、疲れた心に「ヘレディタリー」と「ミッド・サマー」をぶち込んだ。鬼才、アリ・アスターの毒気にあてられて、思考がどんどん尖っていく。今週も眠れない日曜日を過ごす。

 

21日

22日の下北沢に向けてペンタで深夜練。SSのヒノくんに作ってもらったシールドを試す。抜けを作るのに少し時間がかかったが、無事に音作り完了。これはいい。早くライブがしたくなった。セトリをしこたま確認し終えて、新曲のアレンジを進める。骨格はまとまった。帰り道、啓太郎に「新曲の歌詞は『結局人はみんな一人なんだし、どうせみんな最後には死ぬんだから人生なんてどうでもいい』みたいな、今までのランタノイドの概念をぶち壊す歌詞にしたい」と言ったら「……なんか辛いことでもあったの?」と若干引いていた。次の日、レコーダーに録っておいた練習音源を聴き直したら、とてもそんなブラックな歌詞とは合いそうにもないメロディだったので、あんなことを口走ったのはたぶんアリ・アスターのせいだと思うことにする。こわい。

 

22日

久しぶりの下北沢。セキネ(清水)の企画に参加。BASEMENTBARは初。対バンもよかったが、ハコの雰囲気もなおよかった。一曲目「こころ」で「踊りましょう!湘南!」っていつもの癖で言っちゃって冷や汗が出たが、ウケてたのでまあよしとする。ホームは湘南だけど、やっぱり他のハコにも定期的に出ねばならない、という決意を新たにした。この一年弱、ライブを積み重ねてきたからこそ、今、下北沢に出て分かることが非常に多かった。去年THREEに出演した時には出てこなかった感情が次々と湧いてくる。自分でも知らない間にあぐらをかいていたんだろうなと思う。もっとできるはず。もっとやれるはず。唇を噛み締めながら帰路についた。

ランタノイド配信全曲解説 その5「オーキードーキー」

その5「オーキードーキー」

 

 

 

「オーキードーキー」とは「OK」のくだけた言い方のこと。「Okey Dokey」。

ちなみに初期の曲名は「セクハラ」だった。あまりに直接的すぎるタイトルだったので、サビから拝借。響きがかわいいので採用。

最近は「メンバー紹介」の曲としてもお馴染みだと思う。

自分が描きたい世界観というか、なんというか、それがギュギュッと凝縮された曲で、性癖や、好きな女性のタイプみたいなものもじんわりと浮かび上がって来ている……と思う。

そういう「癖」は相当狂っていると自負している。

心当たりは大いにある。主に妹の持っていた少女漫画、何故か押し入れにしまってあった成年向け漫画を暇つぶしに読んでいたせいだと思う。

あえてタイトルをあげるなら「神風怪盗ジャンヌ」とか「GALS!」とか。「白鳥麗子でございます!」とか。自分でも書いてて笑える(少女漫画って性描写をベッドで横たわって手を繋ぐシーン”だけ”で補完するのいつも笑ってしまう)(そんな中でも「君の手がささやいている」という神漫画に出会えたことは母に感謝せねばなるまい)(そもそも「君の手」を押し入れに隠すな)

そう。そのせいで随分こじらせた。

紆余曲折の果てに「メンタルがバグって身体的に、精神的に色々と強靭になってしまった気のバカ強い女」がたまらなく好きになってしまったのである。

よく目にする「女性芸能人◯◯!実は性格悪かった!」みたいな記事。

そういうのちょーだい!もっと!って感じである。

世の中のあらぬ噂やバッシングに対して「だから何?」と言える強さとかわいさに常日頃憧れている。

AKBなら「こじはる」が推しだ。(とてつもない偏見)

 

さて、ここまで読んで、「所詮ポーズでしょ?」って思う人もいるかもしれない。

あなどるなかれ、これは実証に基づいた見解である。

中学、高校、と恋愛もした。気の合う女友達に僕が好きになった女の子について相談すると、

「あいつは最悪」

「女を見る目がない」

って毎回言われる始末!(笑えない)

 

そんな女性像が歌詞の世界観を支えている。「やっぱごめん、気持ち悪い」ってフレーズも然り。

なんとなくオーキードーキーを聴いていたって人は、この機会にこれを前提に聴いてみてほしいものである。

 

余談だが、昨今は「LGBT」の話もよく耳にするし(LGBTQとか、LGBTQ +とか)、この歌が主張したいことも少し違った意味で捉えられたりもするのかも、と思うこともある。僕が意図したメッセージと曲解するのは当然のことだし全然構わない。

男はたくましくなくていいし、女はおしとやかじゃなくていいし、もう何でもいいわけで。

結局認め合う世の中を作れるのかってところが、目下最大の懸念事項だと思う。どこの国でも、街でも、文化が違えば考え方まるっと違うのだから。

自分の考えとしては、そこに深く頭を突っ込んだり、逆にノータッチでいたり、なんて極端なことはしないつもりでいる。

話したければ話すし、歌いたければ歌う。

そんなスタンスだから、聴いている側も肩肘張らないで、課長と部長と社長の時代錯誤に対して、呆れつつもどっしりと構えて笑い飛ばす気の強い女の子の話をただ楽しんでくれればありがたい。

 

ちなみに音源のギターはこばさんが弾いている……のはここだけのハナシ。

 

(次回、その6「オーソドックス」に続く)