その2 「夏が来る」
湿気ムンムン、肌にじっとりと汗が滲む、気だるい夏の曲。
ともかく歌詞は抽象的な装い。
何にインスピレーションされたんだろう。
パッと思いつくのはKeyの「AIR」かもしれない。
だいぶ古いゲームだし、実際にプレイしたことはない。
アニメは全部見た。うるっときたが、号泣はしなかった気がする。
それでもニコ厨は夏が近づくと、嫌というほど「AIR」を思い出す。
示し合わせたように関連動画がランキングにあがるからである。
……クリスマスが近づくと、フジファブリックが聴きたくなったり。
人間そういうもんなのだ。
大学の先輩に歌詞を見てもらったことがあったが、
その時は「固定」という単語が浮いて聞こえる、とツッコまれた。
そう言われると確かにそんな気もしたのでその場は深く頷いたが、今となっては別にどうでもよい話だ。
個人的な好きポインツを挙げるとするならば、「夕立」と「雷」を合図に「また会いたい」って思えるの、アツいなあ、と思う。
なんでアツいのだろう。
夕立が降ると、「あぁ夏だ」と思えて、その感覚がたまらなく好きだから……、ということ、かも?
ああ、でも違う。思い出した。
これは、僕が大学在学時に書いた詩「オト(ギバナシ)」にも関わってくると思うからちょっと詳細を書くこととする。
日本大学芸術学部文芸学科に入って現代詩を学んでいた当時、
授業の一環でDTP(インデザインとかフォトショとかイラレとか)を駆使してゼミ誌を作ることに。
その中で2ページくらいのスペースをメンバーから貰って、自作の詩を載せることになった。
完成したゼミ誌は文芸学科のロビーに置かれて、誰でも閲覧できるようになっているのだけれど、
レイアウトとかデザインとか、取り仕切ってくれた子(名前は忘れてしまった。痛恨)のハイセンスもあって、
割と評判は良かったそうな。
そしたら、なんかそれから半年ぐらい?経った頃かな。
人づてに、「この詩を劇の一部分に使用したい」と演劇学科の子が言ってくれていることを知ったのだった。
普通の作家大先生ならば、
「ああ、構わないよ。好きに使ってくれ」
ぐらい余裕ぶって言うべきなのかもしれないが、
僕にはそういった経験が一切なかった。
実はランタノイドもあまりカバーされたことがない!(当然だ)
ので「えーっ!!!!えーっ!!!」
って言いながら使用許可を出した。
ドキドキしながら公演を見に行ったが、それはもう全身の毛が逆立つぐらいよい作品だった。
自分が生み出した言葉、ひねり出した想い。
それが「劇」というフィルターを通して不特定多数の人々に散らばっていく。
とてつもなく気持ちのいい瞬間だった。
本当だったら、終演後にすぐにでもお礼を言うべきなんだけれどそんな余裕もなく。
在学当時よくつるんでいた「タイさん」と近くのラーメン屋かなんかに入った。
んで、飲めないくせにビールを浴びるほど飲んで、フラフラしながら電車に乗って帰路についた。
「タイさん」は茹でダコみたいになっている僕を見てずっと優しい笑みを浮かべていた。
心拍数がドカドカあがり、形容しがたい高揚感に包まれるあの感覚。
それを歌に落とし込みたかったのだろう。
「会いたい」のは人じゃなくて、
もう一度、あの日起こったちっぽけで、自己満足で、自分の中だけの奇跡みたいな出来事に、
「夏」を通して、出会いたかったのだと思う。
ちなみにこのシングルをリリース後、ギターの清野勝寛が脱退し、ランタノイドは3人編成となる。
当時は色々あったけれど、今でも仲は良いと思う。
メンバーが共同生活しているランタノイドハウスに清野さんもいる。
(次回、その3「マバタキ」に続く)